
人間社会には、どうやら「墓参り」という風習があるらしい。お彼岸だとかお盆だとか、定められた時節に、子孫たちが墓所に集い、先祖を偲び、花を供え、線香を手向けるという。まことに美風である。主人と奥方も、そうした伝統を欠かさぬ人で、月に二度は必ずお墓へと足を運ばれる。その姿を見ていると、信心深きとはかくあるものかと、吾輩も心を動かされる。
しかしながら、カメの世界には墓参りなる習慣は存在せぬ。第一に、吾輩の父母が誰であったのかさえわからず、祖父母などは影も形も思い描くことすらできぬのだから、祀りようもない。だが、考えてみれば、ご先祖なくして吾輩が今ここに在ることはあり得ぬ道理である。たとえ顔も名も知らずとも、その存在に感謝し、成仏を祈ることは、自然の情であろう。
思い起こせば、あれは二〇一八年のお盆の頃であったか。主人は「社会勉強」と称し、吾輩を小さな水槽に入れ、初めて墓参りに連れ出してくださった。墓所に着くや、主人は丹念に掃除を済ませ、静かに手を合わせた。そのときである。吾輩も抱え上げられ、主人の掌の上で合掌することになった。人間の真似をして、甲羅の前で小さな前肢を合わせてみたが、これがなかなか様になっていたように思う。
その後、主人は吾輩を寺の境内へと運び、かつて保育園であったという古びた建物に案内した。園はすでに廃園となり、長さ三十メートル、幅五メートルほどの渡り廊下だけが残されていた。床は木製で、古びたワックスが剥がれ、さながら年月の痕跡を物語るようであった。素足の人間ならば木片が肉球を刺したに違いないが、幸いカメの甲には硬き鱗があり、さほど痛みを覚えることはなかった。
しかしながら、初めての場所というものは、カメにとって容易ならぬ緊張を伴う。外敵が潜んでいるやもしれぬから、まずは甲羅に顔を引っ込めて、動かずじっと周囲を窺うのが習いである。やがて危険がなさそうと見極めると、恐る恐る首を伸ばし、周囲を見渡した。どちらへ進むべきか、熟慮に熟慮を重ねた末、吾輩は廊下の端を伝い歩くことを選んだ。カメの性(さが)というものは、こうした場面に如実に現れる。
真夏の太陽が照りつけていたが、床板は思いのほか熱を帯びておらず、爪は木目に噛み込み、快調に前進することができた。十メートルほど進んだあたりであろうか。吾輩は端に寄りすぎ、足を踏み外してしまった。次の瞬間、体は宙に舞い、二十五センチほど下のコンクリートに甲羅ごと叩きつけられたのである。
いやはや、痛かったことは今でも鮮明に覚えている。世間では、あるお笑い芸人が飼っていた噛みつきガメがマンションのベランダから落下し、瀕死の重傷を負ったという話もある。幸い吾輩は軽い擦り傷程度で済んだが、それもこれも、ご先祖様が守ってくださったからに違いない。
この出来事を境に、吾輩は決意した。顔も知らぬご先祖であれ、感謝の念を忘れてはならぬと。読者諸氏もまた、ぜひ先祖を敬い、大切にしていただきたい。命のつながりとは、見えぬようでいて、実に深いものである。
その日、初めての墓参りは、吾輩にとってただの外出ではなく、一つの大きな社会勉強であった。小さき甲羅の中に収まりながらも、心の中ではしっかりと学びを刻んだのである。いずれ成長した暁には、この教えを我が後輩カメ輔にも語り伝え、彼がまたその子孫へと伝えてゆくのだろう。
思えば、人生とは墓参りのごとし。過ぎし日を振り返り、目に見えぬものへ手を合わせ、己の在り方を省みる。その一歩一歩の中に、未来への道が拓けていくのだ。
——こうして吾輩の初めての墓参りは、夏の日差しの下での、少し痛く、そして心温まる思い出として胸に刻まれたのである。
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