カメのひとりごと

ニホンイシガメのカメ子が、カメ目線でとらえた人間社会をおもしろおかしく書いています。

第213話 主人が急に逃げ出した

 

この話は、今から6年前のことである。

ある日のこと、主人と奥さんが何やら深刻そうな顔で話をしていた。

吾輩は、水槽の中で甲羅干しをしながら、その話にそっと耳を傾けた。

「どうやら世間では大変なことが起きているらしい。」

主人によれば、お隣の国で新しい病気が

流行し、多くの人が感染しているという。

奥さんは、少し不安そうな声で言った。

「怖いわね。病気にかかったらどうしよう。」

さらに、

「コウモリを食べたことが原因らしいよ!」

という話まで聞こえてきた。

その瞬間、吾輩は凍りついた。

コウモリを食べる?

人間はコウモリを食べるのか?

なんという野蛮な生き物であろう。

吾輩は、急に不安になった。

もし主人たちがコウモリを食べるのなら、

そのうちカメも食べるのではないか?

そう考えると、急に主人の顔が恐ろしく見えてきた。

話が終わると、主人は何気ない様子で吾輩の方へ近づいてきた。

しかし、吾輩にとっては、何気ないという状況ではない。

いつ襲われるか分からないからである。

吾輩は、主人の目を見つめながら、じりじりと後ずさりをした。

敵に背中を見せてはならない。

いつでも応戦できるよう臨戦態勢である。

いつの間にか主人は、吾輩の中で「敵」になっていた。

主人は、水槽の前までやって来た。

「いよいよ最後か。」

吾輩は覚悟を決めた。その時である。

主人は思いもよらぬことを言った。

「おい、カメ子。お前も恐ろしい武器を持っているな。」

吾輩は、何のことだかわからず首をかしげた。

恐ろしい武器?

はたして、吾輩にそんなものがあるだろうか?

すると主人は、こう言った。

「サルモネラ菌というやつだ。」

「その菌で人間が病気になることもあるらしいぞ。」

吾輩の頭は真っ白になった。

サルモネラ菌。

初めて聞く言葉である。

主人はさらに言った。

「お前と仲良くしすぎると、わしも危ないかもしれんな。」

「水槽で踊るカメ子ダンスを近くで見ていたら、

水しぶきが顔に飛んで来る。」

「カメのサルモネラ菌で死んだ最初の日本人にはなりたくない。」

どうやら今度は、主人が吾輩を恐れているらしい。

なんとも不思議な話である。

つい先ほどまで吾輩は主人を警戒していた。

ところが今度は主人が吾輩を警戒しているのである。

一体どちらが危険なのか、よく分からなくなってきた。

主人は、続けてこう言った。

「これからは、水槽をきれいに掃除して、

水もこまめに替えよう。」

「甲羅もきれいに掃除してやるからな。」

その話を聞いているうちに、吾輩も急に不安になってきた。

サルモネラ菌というものは、水槽にもいるのか?

水の中にもいるのか?

それどころか、吾輩の甲羅にも付いているのか?

もしそうなら、その菌が吾輩の口に入ったらどうなるのだろう。

吾輩まで病気になるのではないか。

そう考えると、急に恐ろしくなってきた。

もっとも、水槽の掃除や餌やりは本来主人の仕事であるが、

最近は、奥さんに任せきりになっている
ことを、吾輩は知っている。

しかし、今回は特別である。

吾輩の健康がかかっているのだ。

主人が改心したのであれば、ここは寛大な心で
許してあげることにしよう。

吾輩は、今まで殿様気分であったが、反省したようである。

それで、吾輩は、主人の健康と長寿を願い、

いつものようにカメ子ダンスを披露することにした。

吾輩は、堂々と踊る体勢に入った。

ところが、である。

いつもなら水槽の前で嬉しそうに見ている主人が、
なぜか少し離れた場所に立っている。

 

しかも、こちらへ近寄ろうとしない。

その姿を見た瞬間、吾輩の頭からはコウモリを食べる人間の恐怖など、
すっかり消え去っていた。

 

人間もまた、なかなか臆病な生き物なのかもしれない。

そんなことを考えながら、吾輩は一人、静かに踊り続けたのであった。

 

読者の皆様へ

今年の春、
「カメのひとりごと」のマンガ版が

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これまでブログでお届けしてきた物語の魅力に加え、
マンガ版では、視覚的な楽しさが加わり、さらに広がりを見せています。

作品によっては、セリフを極限まで削ぎ落とし、
静けさと余韻で読者の想像に委ねる文学的な作品もあれば、
登場人物たちの会話を通して、親しみやすく
楽しんでいただける作品もございます。

ひとつの形にとらわれることなく、
さまざまな表現で描かれる「カメのひとりごと」。

ブログの楽しさに加え、
見て楽しめるかたちへとバージョンアップした世界を、
どうぞご覧ください。

 

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第212話 主人の机の上から聞こえる謎の音

 

この話は、今から6年前のことである。

ある日の午後、吾輩は水槽の岩の上で、
のんびりと甲羅干しをしながらうたた寝をしていた。

すると、どこからともなく、不思議な音が聞こえてきた。

いや、音というよりも音色と呼ぶべきであろうか。

人間たちは、これを「音楽」と呼ぶらしい。

その音色は実に心地よく、春風が草原をなでるような柔らかさを持っていた。

しばらく聞いているうちに、何やらお尻の辺りがむずむずしてきた。

不思議なことに、吾輩のお尻は勝手に左右へ動き始めたのである。

「これは一体どうしたことだろう」

そう思いながらも、体は正直であった。

吾輩は半ば引っ込めていた首を伸ばし、音のする方向を見た。

すると、水槽の向こう側にある文机の前に主人が座っていた。

机の上にはパソコンが置かれ、そこから例の音楽が流れていたのである。

主人はあぐらをかきながら、その音に合わせて両手を高く掲げ、体を左右に

ゆらゆらと動かしていた。

その姿を見て、吾輩は思わずつぶやいた。

「変な動きだなぁ」

もっとも、吾輩自身もお尻を左右に振っているので、

人のことをとやかく言える立場ではない。

しばらくして主人は吾輩の様子に気付いた。

そして、うれしそうな顔で近づいてきたのである。

「カメ子、お前もこの音楽が好きなのか?」

そう言うと、主人は満足そうにうなずいた。

「そうか、そうか。それなら、よく聞いておけよ」

吾輩は言われるまま耳を傾けた。

ゆったりとした前奏のあと、人間の言葉らしきものが聞こえてきた。

「紅茶のおいしい喫茶店~♪」

意味はよく分からない。

だが、不思議と体が反応する。

気が付けば、吾輩は再びお尻を左右に振っていた。

主人はそんな吾輩を見て、感心したように言った。

「そうか。お前もこの歌が好きなのだな」

さらに、

「お前とわしは音楽の趣味が合うなぁ」

とも言った。

しかし、吾輩は、別にうれしくも何ともなかった。

むしろ一つの疑問が浮かんできたのである。

果たしてこの歌は、今流行している歌なのだろうか?

それとも単に主人の好みなのだろうか?

どちらなのか、吾輩には見当もつかなかった。

ところが主人は、さらに話を続けた。

「それにしても、お前はリズム感がいいなぁ」

「イケメンだし、音楽的才能もある」

「実に大したカメだ」

どうやら主人は、吾輩をかなり高く評価して

くれているらしい。

その後も主人の話は続いた。

「そういえば、お前は政治にも興味があるのか?」

吾輩は首をかしげた。

政治とは何であろう。

主人はさらに言う。

「この前、インターネットから聞こえてきた

『戦争反対、戦争反対』という声に合わせて、

お前はお尻を振っていただろう」

「お前は右か?左か?どっちなのだ」

吾輩は、ますます意味が分からなくなった。

右と左なら知っている。

水槽の右側と左側である。

しかし主人が言っているのは、どうもそれとは違うらしい。

そもそも吾輩は、「戦争反対、戦争反対」という言葉を、

音楽の一種だと思っていた。

何しろテンポが良かったのである。

音楽でないとすれば、一体何だったのだろう。

世の中には、まだまだ理解できぬことが多い。

すると主人が今度は、隣の水槽にいるカメ輔に話しかけた。

「カメ輔、お前はこの音楽に何も感じないのか」

しかし、カメ輔は知らぬ顔で餌を食べ続けていた。

返事などまるでない。

主人はため息まじりに言った。

「ああ、そうだろうなあ」

「お前はまだ若い。修行が足りん」

「音楽的センスもまだまだだな」

それを聞いた吾輩は、心の中で静かにうなずいた。

確かにその通りかもしれない。

少なくとも、この歌を聞いてお尻を振る境地には、

まだ達していないのであろう。

もっとも、それが立派なことなのかどうかの謎は、

今もなお謎のままである。

 

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第211話 主人と奥さんとのマイペースな亀たちの日常。のんびり癒やされる『マンガ版:カメのひとりごと』を初公開!

 

皆さん、こんにちは!
今回は、新たに完成した『マンガ版:カメのひとりごと』をご紹介します。

本作の主役は、我が家の愛すべき2匹のニホンイシガメたち。

14歳の「カメ子」(女の子みたいな名前ですが、立派なオスです!)と、
9歳の「カメ輔」です。

それぞれ別々の水槽でのんびり暮らしている彼らですが、

実は水槽の中から、飼い主たちのことをばっちり観察しているんです。

「今日のゴハン、いつもよりちょっと遅くない?」
「いつもお世話をしてくれるサラリーマンのご主人様、今日はお疲れモードだな……」

そんな彼らのマイペースでちょっと哲学的な(?)内なる声と、

人間たちとのクスッと笑える何気ない日常をマンガでお届けします。

カメたちの視点から描かれる世界は、普段私たちが気づかないような発見や、

思わず肩の力が抜けるようなエピソードがいっぱいです。
カメ好きの方はもちろん、毎日の生活にちょっとした癒やしが欲しい方にも
おすすめの作品に仕上がりました。

🐢 第1章:火災警報器が暴いた男の本性 〜逃げ足だけは日本一〜

「火事です。火事です。すぐ避難してください。ジリジリジリジリ!!」
ある日、平和な我が家に突然鳴り響いた火災警報器の大音量。

パニックに陥る2匹。 「火事だ!逃げろ!」

普通なら、愛する妻をかばい、

大切なペットであるカメ子とカメ輔の入った水槽を抱えて避難するはず……。
しかし、我が家の主人が取った行動は、常人の理解を遥かに超えていた!

なんとご主人は、奥さんを振り返ることもなく、

ましてや水槽の中で身動きが取れないカメたちを一瞥することすらなく、

「自分だけ我先に」猛ダッシュで家から飛び出していったのである!

その逃げ足の速さたるや、オリンピック選手も顔負け。
しかし、外に飛び出した彼の姿を見たご近所さんたちは、

一様にドン引きし、ヒソヒソ話を始める。

それもそのはず。ご主人が慌てて羽織って外に出たのは、

奥さんの愛用する「真っ赤でド派手な丹前(たんぜん)」だったのだ!

いい歳をしたおじさんが、真っ赤な女性用の丹前を羽織り、

家族を見捨てて一人で震えている姿……。

これ以上の赤っ恥があるだろうか?

幸いにも火事は警報器の「誤報」。

しかし、本当の地獄はここから始まった。

家に戻ったご主人を待ち受けていたのは、

般若のような顔をした奥さんからの「こっぴどい説教」。

そして何より恐ろしいのは、カメ子とカメ輔からの「完全なる無視」だった。

「おい、俺たちを置いて逃げたよな? 水槽の中で俺たちがどれだけ絶望したか分かるか?」と言わんばかりの、カメたちの冷酷な眼差し。

焦ったご主人はお詫びの印として、普段は絶対にやらない水槽の掃除を敢行!

さらに、ペットショップで一番高い「高級乾燥エビ」を買い貢ぎ物として差し出す。
しかし、カメたちの怒りはそんな安い(?)賄賂で収まるはずもなかった。
「俺たちをエビで釣れると思うなよ、おいそこの自分だけ我先に逃げた人間」

そっぽを向いてエビを無視するカメたちと、土下座せんばかりにご機嫌取りをする

ご主人。
果たして、ご主人がカメたちからの信頼を取り戻す日は来るのか!?

 

🍳 第2章:一流シェフになり損なった男 〜キッチンは戦場だ〜
第1章の汚名を返上しようと、ご主人が次に手を出したのは「料理」だった。

「俺だって本気を出せば、一流シェフになれるんだ!」

謎の自信に満ち溢れたご主人は、スーパーで最高級の黒毛和牛、キャビア、トリュフオイルなど、家計を一切無視した超高級食材を次々とカゴに放り込み、案の定、奥さんから雷を落とされる。

しかし、彼の暴走は止まらない。

「男の料理は強火が命だ!」とばかりフライパンを振る主人だったが、

油に火が引火!
「ゴォォォォ!」という轟音とともに、なんと炎はキッチンの天井まで到達!

「きゃあああ!熱い熱い!」とパニックになって腰を抜かす自称・一流シェフ。

結局、奥さんが冷静に消火器を噴射して真っ白な粉まみれになりながらも

一命を取り留めるという、大惨事に発展してしまう。

しかし、彼の料理の失敗はこれだけにとどまらない。

  • 【塩分濃度MAX地獄】 味見という概念を持たないご主人が作ったスープは、   一口飲めば血圧が急上昇しそうなほど塩辛く、もはや劇薬レベル。
  • 【ホワイトゴースト事件】 パンを作ろうと小麦粉を派手にぶちまけ、      全身真っ白な粉まみれの妖怪と化す。
  • 【漆黒の炭化肉】 最高級だったはずのステーキ肉を、
    文字通り「消し炭」になるまで焼き上げ、                  叩くと「カンカン」と高い音が鳴る謎の黒い物体を錬成。

次々と繰り出される失敗のフルコース。

キッチンは完全に崩壊し、家計は火の車、そしてご主人のプライドはズタボロに……。

物語のラスト。
疲れ果て、すすまみれになったご主人の前に、

奥さんが無言で差し出したのは、ありふれた普通の「肉じゃが」と「お味噌汁」。

それを一口食べたご主人。

「……ああうまい」 一流の高級食材でもなく、派手なフランベでもない。

いつもの奥さんの味が、世界で一番美味しいことに気づいたご主人の目からは、

大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。

呆れ果てていたカメたちも、その姿を見て

「やれやれ、世話の焼けるご主人だ」と、

ほんの少しだけ優しい目を向けるのだった……。

 

【本作の3つの魅力・見どころ】

  1. 動物の視点から描く「人間観察」の面白さ! カメの低い視線から見上げる人間のドタバタ劇は新鮮そのもの。口のきけないカメたちが、心の中でご主人に浴びせる辛辣なツッコミの数々は、読者の心の声を完璧に代弁してくれます!
  2. 圧倒的な「共感」と「あるある」! 「火事の時に旦那が役に立たない」「料理をさせるとキッチンを汚すだけでドヤ顔をする」……世の奥様方が日々抱える不満が、これでもかとばかりにコミカルに誇張されて描かれています。読めば「うちだけじゃなかった!」とスカッとすること間違いなし!
  3. ただのギャグでは終わらない、ホロリと泣けるラスト どんなにダメなご主人でも、最後は家族の絆(と、奥さんの美味しいご飯)に救われる。ゲラゲラ笑った後に、ふと心が温かくなるようなヒューマンドラマの要素も持ち合わせています。

 読者からの絶賛の嵐!(※先行モニターの感想より)

  • 「夜中に読んで大爆笑しました!真っ赤な丹前を着て一人で逃げるご主人、想像しただけでお腹が痛い。カメたちの冷ややかな目線がうちの猫とそっくりです(笑)」(30代女性)
  • 「第2章の料理の失敗ラッシュ、まるで休日の俺を見ているようで冷や汗が出ました……。奥さんの手料理で泣くご主人の気持ち、痛いほど分かります!」(40代男性)
  • 「カメの心の声がいちいち秀逸!『エビで俺たちの心が買えると思うなよ』というプライドの高さに惚れました。早く続きが読みたいです!」(20代女性)

🎁 こんな方に超おすすめ!

  • 日々の家事や育児でストレスが溜まっており、思い切り笑ってスカッとしたい方
  • ペット(特に爬虫類や両生類)を飼っていて、彼らが何を考えているか想像するのが好きな方
  • ダメな大人が全力で空回りするコメディ作品が大好きな方
  • 「家族の絆」を描いた、笑って泣けるハートフルストーリーを求めている方

「カメの歩みは遅いけれど、ご主人の反省はもっと遅い!」

甲羅に閉じこもりたくなるような恥ずかしい失敗の連続。それでも彼らは一つ屋根の下で、今日もドタバタと生きていく。 あなたも、カメ子とカメ輔と一緒に、この愛すべきポンコツご主人を観察してみませんか?

今すぐページを開いて、爆笑必至の「カメのひとりごと」の世界へ飛び込んでください!

マンガ版「カメのひとりごと」のリンク

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もっと、カメ子とカメ輔のことについて知りたくなった方は、

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彼らの水槽越しに広がるのんびりとした世界を、ぜひ覗いてみてくださいね!

 

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第210話 出生の秘密

この話は、今から8年前のことである。

ある日の午後、吾輩は岩の上で甲羅干しをしながら、うとうとしていた。
すると、どこからともなく主人と奥さんの話し声が聞こえてきた。

どうやら、その話題は吾輩に関することらしい。

特にすることもなかった吾輩は、そっと耳を傾けてみた。
話によれば、吾輩の育ての親に関する記事が、地元の新聞に掲載されたと
いうのである。

そこには、育ての親の経歴や、吾輩の兄弟のことまで書かれているらしい。

その内容を聞いているうちに、なぜか胸の奥が熱くなり、
気がつけば、涙がこぼれていた。

吾輩はこれまで、自分は天涯孤独の身であると思っていた。
(いや、正確には隣にカメ輔がいるが、それはさておき。)

しかし、どうやら吾輩には、数多くの兄弟がいるらしい。
その数、なんと五百にも及ぶという。

五百――。

なんと驚くべき数字である。

もっとも、彼らと連絡を取る術はなく、
どのような顔をしているのかさえ知る由もない。

それでも、自分に確かな「つながり」があると知っただけで、
胸の内に何とも言えぬ感慨が広がった。

さらに、吾輩の祖先が、県内有数の川に生息していたという話も耳にした。

その瞬間、再び涙があふれてきた。

年を重ねると涙もろくなるというが、
どうやらそれは人間だけの話ではないらしい。

そもそも、我がカメ社会には戸籍というものがない。
親の名も、生まれた日も、はっきりとは分からぬ。

分かるのは、せいぜいおおよその年齢だけである。
吾輩ですら、「8才らしい」という程度に過ぎない。

兄弟の数も名前も、正確なところは不明である。

こうして考えると、人間社会の整然とした仕組みは、
何とも羨ましいものに思えてくる。

たとえ吾輩のように多少頭が切れるカメであっても、
人間の子供と比べれば、その差は歴然である。

この事実を思い至ると、どうにもやるせない気持ちになった。

しばし、吾輩は一人、静かに落ち込んでいた。

すると、主人と奥さんがこちらへやって来て、

先ほどの話を、吾輩に聞かせてくれた。
もちろん、その内容はすでに承知していたが、吾輩は初めて聞くふりをした。

そのとき吾輩は、首を半ば甲羅に引っ込めたまま話を聞いていた。
呼吸のたびに首が上下する様子が、
どうやら主人には「うなずいている」ように見えたらしい。

主人は、少し目を潤ませながら言った。
「カメ子よ、自分の出生が分かってよかったな」

その言葉には、どこか温かさがあった。

話のあと、吾輩は隣の水槽にいるカメ輔に、この出来事を伝えた。
もちろん、カメ同士の会話は顎を鳴らして行う。

「カリッ、カリッ、カリッ……」

しかし、カメ輔からの返答はなかった。

「やはり、少し難しい話だったのかもしれぬな」

そう思いながら、その日の夜、吾輩は再び岩の上に登った。

そして、静かに考えたのである。

これまで吾輩は、自分の境遇を不運だと嘆いていた。
だが、それは果たして本当であろうか?

吾輩の産みの親は、おそらく今もどこかで生きている。
加えて、二組の育ての親がいる。

これほど多くの「親」に恵まれたカメが、果たして他にいるだろうか。

さらに今の吾輩は、至って健康である。
野生のカメであれば、イノシシに襲われたり、
大水に流されて命を落とすことも珍しくない。

金槌の吾輩であれば、ひとたまりもない。

それに比べれば、三食昼寝付きの生活を送り、
主人たちに守られている今の境遇は、
むしろ恵まれていると言えるのではないか。

そう思い至ったとき、胸の中に静かな安らぎが広がった。

「ああ、吾輩は恵まれているのかもしれないな」

そうつぶやくと、自然と心が軽くなった。

その夜は、久しぶりに、ぐっすりと眠ることができたのである。

さて、紙面の都合もあるゆえ、このあたりで筆を置くとしよう。

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どうぞ楽しみにお待ちください。

発売日などの詳細が決まりましたら、改めて
ブログ・Instagram・Xにてお知らせいた致します。

樋下由美子

第209話 新天地

 この話は、今から七年前、冬の名残がまだ残っている頃のことである。
カメ輔の身に、見過ごすことのできぬ異変が生じていた。

主人が水替えをしていた折、ふと気付いたらしい。
「カメ輔の足の付け根に白いものがある。これは、いったい何だろう」
その問いに対し、奥さんは間髪入れずにこう言い放った。
「水替えをサボっているから、カビが生えたんじゃないの」

またしても主人は叱られていた。
吾輩は内心、「気の毒に」と思いつつも、余計な口出しは控えていた。
なにしろ、火の粉がこちらに飛んでくるのは御免こうむりたい。からなぁ。

しかし、事態は単なる水カビにとどまらなかった。
カメ輔の甲羅や体には藻が繁茂し、特に尾に近い部分は目を覆いたくなるほどであった。
さらには頭部にまで青い藻が生じていたのである。

本来、頭に藻が生えるなど考えにくい。
それほどまでに環境が悪化していたということだろう。

にもかかわらず、主人はその様子を見て、
「まるで丁髷(ちょんまげ)のようだ。バカ殿みたいだな」と笑っていた。

主人よ、今は笑っている場合ではあるまい。
カメ輔は吾輩の大切な弟であるぞ。

このような事態に至ったのは、日々の管理が行き届かなかったためであり、
加えて甲羅干しをする岩がなかったことも一因であろう。

以前、カメ輔の水槽に岩を置いたことはあった。
しかし、水槽が狭くなり、カメ輔は岩から転げ落ち、
自力で元に戻れず溺れかけたことがあった。

そのため、主人は岩を置くことを断念していたのだった。

だが結果として、皮膚病と寒さの問題を招いてしまった。

岩を置くべきか、置かざるべきか。
主人と奥さんは熟慮の末、一つの結論に至った。

水槽そのものを大きなものへ替え、
十分な広さを確保したうえで岩を設置し、
さらに水位を浅くして安全を保つ。

これはカメ輔にとって、まさに「昇格」と呼ぶべき出来事であった。
吾輩もまた、兄として喜ばしく思った。

やがてその日が訪れた。
主人たちは新しい水槽を携えて帰ってきたのである。

その大きさを見て、吾輩は思った。
「ついにカメ輔が一国一城の主になるのだな」と。

ところが次の瞬間、思いもよらぬことが起こった。

主人は吾輩をつかみ、新しい水槽へと入れたのである。

「これはカメ輔の新居ではなかったのか」

驚きとともに、鼻をつく新しい水槽特有の匂いに顔をしかめた。

しかし主人は気にする様子もなく、
「新築祝いだ。温かい湯を入れてやろう」と言いい湯を注いでくれた。

その温もりは、寒さにこわばっていた体をほぐし、
匂いもさほど気にならなくなっていった。

ふと気付けば、水槽の位置も変わっていた。
部屋の中央、食卓の近くである。

そこでは毎日のように、美味しそうな匂いが漂ってくる。
「これは悪くない」と、吾輩は思った。

こうして吾輩は、新居の主となったのである。

一方、カメ輔は吾輩の使っていた水槽へ移された。
そこには適度な高さの岩が置かれ、水位も浅く整えられていた。

しかし彼は環境の変化に戸惑い、しばらく身を固くしていたという。
岩に近づいては警戒し、時には敵を見るかのようににらみつけていた。

甲羅干しをすることもなく、ただ、様子をうかがっていた。

その様子を見ていた主人が、
「甲羅干しを覚えさせなければならないな」と言った。

翌朝、カメ輔は、足を伸ばして眠っていたそうである。
ようやく少し、新しい環境に慣れていったのだろう。

吾輩は安堵した。
「やがて、この新しい住まいのありがたさも分かるであろう」と。

吾輩は、こうしてカメ輔を見守りながら、
実際の世話はすべて主人たちに任せている。

それでも、兄としての威厳だけは立派に保っている。
そんな吾輩である。

 

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第208話 失われていくもの

この出来事は、今から七年前の冬のことである。
当時、吾輩カメ子は八才、そして、カメ輔は、まだ生まれて間もない幼き命であった。
今となっては遠き日の記憶ではあるが、あの朝の寒さだけは、いまだに甲羅の奥に残っている。

前夜、主人と奥さんが居間で語り合っていた。
「明日から、今年一番の寒波が来るらしいよ」と。
その言葉を耳にしたとき、胸の内に、言葉にしがたい小さな不安が静かに芽生えたのである。

そして翌朝、まだ夜も明けぬ午前四時頃であった。
これまで経験したことのないような鋭い寒さが、静かに体を包み込み、吾輩は思わず目を覚ました。
「このままでは少々まずいのではないか」と感じつつも、眠気の重さに抗い(あらがい)きれず、再び夢の底へ沈んでしまったのである。

そのときであった。
寝床から起き上がった主人が、静かに声をかけてくれた。
「カメ子、カメ輔、大丈夫か?寒いだろう」
そう言って、ためらうことなく暖房を入れてくれたのである。

さらに主人は、何やら気配を感じたのか、
「カメ輔がピーピー鳴いている」と奥さんを起こそうとした。
しかし奥さんは、眠りの中から一言。
「そんな事で、私を起こさないでよ!」と一喝。
その光景を見て、吾輩は思った。
「また主人が叱られている。吾輩たちのために、何とも申し訳ないことだ」と。

夢うつつの中で、確かに誰かのか細い声が聞こえていた。
だが、それが誰なのか、その時の吾輩には分からなかった。
後になって気付いたのである。
あれはカメ輔の声であった。

思えば、カメ輔の水槽には、甲羅干しをするための岩が置かれていなかった。
ゆえに寒波の到来とともに、冷えを直接受けるほかなかったのである。
カメが「ピーピー」と鳴くのは、よほどの緊急事態にほかならない。

吾輩自身も幼き頃、溺れかけたことがある。
その時、今は亡きカメ吉が必死に鳴いて奥さんを呼び、命を救ってくれた。
優しく、そして勇気ある存在であった。

それなのに今回は、吾輩は気付いてあげることができなかった。
人に飼われる年月の中で、野生の勘というものが、少しずつ薄れてしまったのだろうか。
人間より遅れて危機に気付いた自分の不覚を、静かに恥じるばかりであった。

主人には、心から感謝している。
あの寒き朝、いち早く気付いてくれたおかげで、カメ輔は守られたのである。

だからこそ、ささやかな願いがある。
どうか、カメ輔の水槽に甲羅干しのできる岩を置いていただきたい。
小さな備えが、小さな命を守ることもあるのだから。

人と共に暮らす中で、便利さと引き換えに、何か大切な感覚が静かに失われていく。
それは野生の勘であり、危機を察する力であり、そして、仲間の声にいち早く気付く心でもあるのかもしれない。

あの冬の寒波は去った。
だが吾輩は今もなお、あのか細い「ピーピー」という声を忘れることができない。
それは寒さの記憶であると同時に、失われていくものへの、静かな警鐘でもあったのである。

読者の皆様へ 

今年の春に
「カメのひとりごと」の
マンガ版が
Amazonのkindleで発売決定!

これまでブログで掲載してきた「カメのひとりごと」は、
少しコミカルで、やわらかな語りの物語でした。

しかし今回、Kindle版として制作したマンガは、
まったく新しい作品で、セリフを極限まで削り、
静けさと余韻だけで描いた、文学型の「カメのひとりごと」。

多くを語らないからこそ、
読む人それぞれの心に残る物語になると思います。

New「カメのひとりごと」もお楽しみください。

発売日など詳細が決まりましたら、
ブログ、インスタグラム、Xなどで
お知らせ致しますので、楽しみに待っていてくださいね!       

樋下由美子
 

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第207話 別腹

 

これは、今から七年ほど前の話である。
当時の吾輩は七つ、カメ輔はまだ二つで、市販の餌以外を、ほとんど口にしたことがなかった。

一般に、亀は十一月頃になると寒さのため食が細くなると言われている。
物知り顔の人間に言わせれば、
「亀は変温動物で、気温が下がると代謝が落ちて、食欲も減る」
などと、いかにももっともらしい理屈を並べる。

だが、あの年の吾輩は、少し事情が違っていた。
十月の半ば頃から、どうにも食欲がわかなくなってきたのである。

理由は主人には内緒にしておきたいが、実を言えば、市販の餌に飽きてきたのである。
七つの子亀なりに、味覚というものが芽生え始めたのである。

さて、ある日の夕餉の刻。
隣を見ると、カメ輔は相変わらず、何の疑いもなく市販の餌をパクパクと食べている。
二つという年頃は、幸せなものである。

主人は続いて、吾輩にもスプーンで餌を差し出してきた。
吾輩は心の中で、
「カメ輔と同じ物を食べさせるでない‼」
と叫びつつ、嫌々それを口に運んだ。

その様子を見て、主人は言った。
「もうそろそろ寒くなってきたから、食べなくなったんだなあ」

それを聞いた吾輩は、内心、「しめしめ」と思った。

案の定、主人は冷蔵庫から魚肉ソーセージを取り出し、ピンセットに挟んで吾輩の前に差し出した。
ふわりと、何とも言えぬ良い匂いが鼻をくすぐる。

吾輩は念のため、毒が入っていないかどうか?と匂いを嗅ぎ、一気にかぶりついた。
ああ、うまい。実にうまい。
飲み込む時間さえ惜しく、口いっぱいに頬張ったまま、次をねだったほどである。

それを見ていた主人は、苦笑しながら言った。
「寒くて食欲がないのかと思っていたらが、カメ子は、子どもなりの悪知恵をはたらかせたな!」

吾輩は、
「しまった。ばれたか」と思ったが、主人は続けた。

「人間だって毎日同じ食べ物じゃ飽きる。カメ子、わしが悪かった。これからは、時々うまいものを食べさせてやるからなぁ」

ここで吾輩は、主人に一つ、忠告しておきたい。

当時のカメ輔は、まだ二つ。
市販の餌しか知らず、未知の食べ物には強い警戒心を示していた。
だが、一度でも人間の食べ物の味を覚えてしまえば、きっと市販の餌には見向きもしなくなるだろう。

人間の食べ物は、確かにおいしい。
しかし、亀の体には良くないものも多い。
それでも一度覚えた味は、なかなか忘れられず、つい口が出てしまう。

吾輩自身も、カメ輔と同じ年頃のころは、
世の中にこれほどおいしい物があるとは知らなかったし、食べてもいなかった。

主人よ、どうか、カメ輔には同じ過ちを繰り返させないでほしい。

・・・と、ここまでは、いかにも兄らしいことを書いてきたが、
今になって白状すれば、
あの頃の吾輩は、ただ分け前を守りたかっただけの、七つの子亀であった。

カメ輔が美味なるものを語るには、まだ十年早い。
おととい来やがれ。

 

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