カメのひとりごと

ニホンイシガメのカメ子が、カメ目線でとらえた人間社会をおもしろおかしく書いています。

第210話 出生の秘密

この話は、今から8年前のことである。

ある日の午後、吾輩は岩の上で甲羅干しをしながら、うとうとしていた。
すると、どこからともなく主人と奥さんの話し声が聞こえてきた。

どうやら、その話題は吾輩に関することらしい。

特にすることもなかった吾輩は、そっと耳を傾けてみた。
話によれば、吾輩の育ての親に関する記事が、地元の新聞に掲載されたと
いうのである。

そこには、育ての親の経歴や、吾輩の兄弟のことまで書かれているらしい。

その内容を聞いているうちに、なぜか胸の奥が熱くなり、
気がつけば、涙がこぼれていた。

吾輩はこれまで、自分は天涯孤独の身であると思っていた。
(いや、正確には隣にカメ輔がいるが、それはさておき。)

しかし、どうやら吾輩には、数多くの兄弟がいるらしい。
その数、なんと五百にも及ぶという。

五百――。

なんと驚くべき数字である。

もっとも、彼らと連絡を取る術はなく、
どのような顔をしているのかさえ知る由もない。

それでも、自分に確かな「つながり」があると知っただけで、
胸の内に何とも言えぬ感慨が広がった。

さらに、吾輩の祖先が、県内有数の川に生息していたという話も耳にした。

その瞬間、再び涙があふれてきた。

年を重ねると涙もろくなるというが、
どうやらそれは人間だけの話ではないらしい。

そもそも、我がカメ社会には戸籍というものがない。
親の名も、生まれた日も、はっきりとは分からぬ。

分かるのは、せいぜいおおよその年齢だけである。
吾輩ですら、「8才らしい」という程度に過ぎない。

兄弟の数も名前も、正確なところは不明である。

こうして考えると、人間社会の整然とした仕組みは、
何とも羨ましいものに思えてくる。

たとえ吾輩のように多少頭が切れるカメであっても、
人間の子供と比べれば、その差は歴然である。

この事実を思い至ると、どうにもやるせない気持ちになった。

しばし、吾輩は一人、静かに落ち込んでいた。

すると、主人と奥さんがこちらへやって来て、

先ほどの話を、吾輩に聞かせてくれた。
もちろん、その内容はすでに承知していたが、吾輩は初めて聞くふりをした。

そのとき吾輩は、首を半ば甲羅に引っ込めたまま話を聞いていた。
呼吸のたびに首が上下する様子が、
どうやら主人には「うなずいている」ように見えたらしい。

主人は、少し目を潤ませながら言った。
「カメ子よ、自分の出生が分かってよかったな」

その言葉には、どこか温かさがあった。

話のあと、吾輩は隣の水槽にいるカメ輔に、この出来事を伝えた。
もちろん、カメ同士の会話は顎を鳴らして行う。

「カリッ、カリッ、カリッ……」

しかし、カメ輔からの返答はなかった。

「やはり、少し難しい話だったのかもしれぬな」

そう思いながら、その日の夜、吾輩は再び岩の上に登った。

そして、静かに考えたのである。

これまで吾輩は、自分の境遇を不運だと嘆いていた。
だが、それは果たして本当であろうか?

吾輩の産みの親は、おそらく今もどこかで生きている。
加えて、二組の育ての親がいる。

これほど多くの「親」に恵まれたカメが、果たして他にいるだろうか。

さらに今の吾輩は、至って健康である。
野生のカメであれば、イノシシに襲われたり、
大水に流されて命を落とすことも珍しくない。

金槌の吾輩であれば、ひとたまりもない。

それに比べれば、三食昼寝付きの生活を送り、
主人たちに守られている今の境遇は、
むしろ恵まれていると言えるのではないか。

そう思い至ったとき、胸の中に静かな安らぎが広がった。

「ああ、吾輩は恵まれているのかもしれないな」

そうつぶやくと、自然と心が軽くなった。

その夜は、久しぶりに、ぐっすりと眠ることができたのである。

さて、紙面の都合もあるゆえ、このあたりで筆を置くとしよう。

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【読者の皆様へ】

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「カメのひとりごと」のマンガ版が、
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これまでブログでお届けしてきた物語の魅力に加え、
マンガ版では、視覚的な楽しさが加わり、さらに広がりを見せています。

作品によっては、セリフを極限まで削ぎ落とし、
静けさと余韻で読者の想像に委ねる文学的な表現もあれば、
登場人物たちの会話を通して、親しみやすく楽しんでいただける作品も

ございます。

ひとつの形にとらわれることなく、
さまざまな表現で描かれる「カメのひとりごと」。

ブログの良さに加え、
見て楽しめるかたちへとバージョンアップした世界を、
どうぞ楽しみにお待ちください。

発売日などの詳細が決まりましたら、改めて
ブログ・Instagram・Xにてお知らせいた致します。

樋下由美子