カメのひとりごと

ニホンイシガメのカメ子が、カメ目線でとらえた人間社会をおもしろおかしく書いています。

第200話 おままごとという幻影

 吾輩はカメである。名前はカメ子。今宵は一篇、吾輩の心に刻まれた小さな出来事を語ってみたいと思う。

それは、奥さんの実家に居候していたある春の午後の出来事である。主人とともに家の前の道路を散歩していた時だった。ふと視線を感じて顔を上げると、隣家の庭先で新築の香りもまだ残るその家の女の子が、近所の男の子と「おままごと」なる遊戯に耽っているのが目に入った。

女の子は柔らかい声でこう言った。

「あなた、お帰りなさい。お仕事お疲れさまでした。ご飯がもうすぐできるので、ちょっと待っててくださいね。先に冷えたビールでも飲みますか?」

それに対し、男の子は眼鏡越しに穏やかな笑みを浮かべながら、

「うん、そうだな。ぼくも何か手伝おうか?」

と応じたのである。女の子は手際よくまな板の上で味噌汁の具を刻んでいた。男の子の風貌は、どこか漫画「ドラえもん」に登場するあの、「のび太」氏を思わせるものがあった。彼の物腰はとても柔らかく、動物にも優しいので、女子にも評判のようだ。

この「おままごと」、果たして男の子は彼女に請われて仕方なく参加していたのか、それとも、仮想の夫婦生活に何かしらの憧れを抱いていたのか、あるいは単に彼女への淡い好意によるものか、その真意は吾輩にも分からぬ。

だが、彼の表情から察すると、彼はこの芝居で純なる喜びを見出していたのに違いない。

さて、吾輩はと言えば、どうして人間の子供たちが、わざわざ“家庭のまねごと”をして愉しんでいるのか、その真意がどうにも理解できぬ。しかし、彼らの表情には曇りがなく、まさに「しあわせ」という言葉が形を得たようであった。

主人もまた、無言のうちにその光景を眺めていた。吾輩が彼らの方をじっと見つめていたことを、気づいていたのに違いない。

すると、女の子がこちらを振り向き、

「あっ、カメのおじちゃんだ」

と叫んだ。吾輩は一瞬、過去の悪夢が蘇ったのを覚えている。

かつて、この家の兄と思しき少年が、初対面の吾輩を棒で叩いたことがあったのだ(第198話 働かざる者、食うべからず)。

あのときの衝撃はいまだに甲羅の奥に残っている。だが、今日はその少年の姿はなかった。

恐る恐る頭を甲羅から出してみると、そこには例の女の子と男の子が並んで立っていた。

女の子は、吾輩の甲羅に触れることもなく、ただじっと見つめてこう言った。

「カメさん、かわいいね」

男の子は笑みを浮かべ、

「うん」とだけ応えた。

吾輩は悟った。この少年、やはり生き物への慈しみを持つ者なのだ。だからこそ、女子に人気があるのだろう。動物を大切にする男子は、得てして人にも優しい。

2人はその後、再び「おままごと」の世界へと戻って行った。吾輩もまた、ゆるりと足を運び、主人に連れられて水槽へ戻った。

「おままごと」——子どもたちが描く結婚の幻影である。

果たして彼らは、家庭というものの複雑さを、どれほど想像していたのだろうか。もちろん、吾輩もそのすべてを理解しているわけではない。が、彼らの間には、確かに“思いやり”という名の光があった。

一方、我が家の夫婦はというと・・・。いつも、口喧嘩ばかりしているようである。

吾輩としては、老婆心ながら心配しておるのである。

 

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